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宇佐山城址に登る


宇佐山城址 三の丸からの展望 この日はびわ湖大橋、近江八幡あたりまで一望できた

 今日は穏やかな天気だったので宇佐山城址に行ってきました。宇佐山は近江神宮の西側にあり、標高は335m。もうすぐ最終回を迎えるNHK大河ドラマ麒麟がくる」の番組最後の光秀ゆかりの地のコーナーでも紹介されていましたが、山頂にはかつて織田信長の命によって森可成(もりよしなり、織田信長の近習として知られる森蘭丸の父)が築いた山城があり、今でも石垣などが残っています。
 今回はちょっと横着をして近江神宮の駐車場(標高123m)に車を停めさせてもらい、山頂にある宇佐山城址まで約200mの山登りです。

宇佐八幡宮の参道は何故か鳥居までが未舗装
左手に迂回して緩い坂道を上がることも可能
鳥居の中央上に見える白いアンテナのある場所が山頂
 
 駐車場から「よい子の森保育園」の横の細道を抜けると宇佐八幡宮の参道に出ます。いきなりの未舗装の急坂なので一瞬たじろぎますが、この先は再び舗装路になるのでご安心を。

門のある側が表参道

 参道を進むと右手に表参道の入り口の門があります。(直進は神輿道) この門をくぐって50m程進むと「宇佐山城址」の案内板があるので、参道を外れて右に進みます。(後でわかったのですが、先にお参りを済ませて宇佐八幡宮本殿右横から行くこともできます)
 曲がって道なりに進むと本殿の横に出てしまうので、下の写真の様に宇佐山城址の看板横を通り抜けて山道に入ります。


手前が参道側 ひしゃげた宇佐山城址の看板の横を通り、山道に進む


写真では道があるような無いような・・・といった感じだが
要所要所に右手前の木の下部に見られるような案内板があって、迷う事はなかった


志賀小学校の子どもたちが作ってくれた案内板に励まされながら坂を登る
お陰で道に迷わなかったよ、ありがとう!

 山頂までの道は整備されたハイキング道ではなく、基本的に踏み分け道で、ところどころ滑りやすい急坂があったり、狭かったり、木の根が地上に出ていたりしますので運動靴は必須です。ただ、志賀小学校の子どもたちが作ってくれた案内板が多数設置されているので、道に迷うことはありませんでした。滑落に気をつけながらゆっくり登って30分、楽勝とまでは言いませんがなんとか山頂に着きました。
 
 山頂付近で道は右手(北側)の三の丸方面、左手(南側)のテレビの電波送信設備のある本丸方面に分かれますが、先ずは「宇佐山テラス」と案内板にあった三の丸方面に向かいます。ここからは冒頭の写真の様にびわ湖の景観が楽しめます。織田信長はここから琵琶湖を見ながら坂本城安土城の構想を練ったそうです。


三の丸付近の案内板にあった山城図面とイラスト

 本丸側はテレビ電波送信施設のある建物に向かって階段がありますが、階段手前を左に入ると崩れかけた山城の石垣なども見ることができます。

本丸付近に残る石垣

 階段を上がると正面にテレビの電波送信設備の建物があり、階段上がってすぐ左手には宇佐山三角点の標識がありました。

TVの電波送信施設横にある山頂標識

山頂のテレビ電波送信設備

通称山中越え側から機材を持ち上げる為のモノレール
これで上り下り出来たらラクチンそう・・・

 施設建物の横に上の写真のようなモノレールが置いてありました。地図で見ると宇佐山山頂は西側を通る下鴨大津線(山中越え)に近く、ここの機器は下鴨大津線側からこのモノレールで運んだようですね。

 さて、帰路は折角なので宇佐八幡宮にお参りして、無事登頂できたお礼とコロナ収束をお祈りしておきます。因みにこの本殿の標高は215m程なので、標高という意味では山頂と駐車場の真ん中あたりということになります。


源頼義が1065年に創建したと言われる宇佐八幡宮


鳩の群れが九州大分の宇佐八幡宮導き示した故事に由来する本殿横に並ぶ土鳩の置物


鈴紐に代わるハイテク鈴
右の箱の上に手をかざすとカランカランと鈴の音がする

 最近は模型以外の鉄分が圧倒的に不足していて、このブログも全く看板に偽りありの状態ですが、早くカメラを持って安心して出掛けられる日が来て欲しいものです。